たまにとても悲しくなること

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たまにとても悲しくなること

 

『俺には俺の生き方がある』 加藤諦三 著

俺には俺の生き方がある に対する画像結果

 

以下引用

正常な感情を失った人々

身にならない勉強は、やればやるだけかたよった考え方を作ってしまうだけである。考え方がかたよるだけならまだいいが、その人の興味の持ち方から、感情までかたよってしまう。若者らしい喜びなどは感じなくなってしまう。正常な若者なら、目を輝かせる出来事に、顔をしかめてしまう。

 

もちろん、どっちが正常かということには議論があろうし、人それぞれ興味の対象も違うし、喜びを感じるものもちがうだろう。だが、ガリ勉をやってきた人達は、どうしてもおかしいと思われる時がある。

 

たとえば、小学校からずっと受験勉強をしてきた人は『山に行く人や、旅行に行く人の気持ちがわからない。苦労してあんな旅行をするくらいなら、家にいたほうがいい』という。旅行するならデラックスでなければ行きたくないというのだ。

 

考えてみると、これは恐ろしいことなのだ。若くして、もはや、全く若さを失った人なのだ。これが老人の言葉でなくて、何であろう。

 

旅行にいく時、新宿の地下道にすわってトランプでもしながら列車を待っている。それは苦痛ではないのだ。皆とワイワイやっているのが楽しいのだ。列車に乗れば座席の下で寝る。それが楽しいのだ。寝台車でなくても楽しいのだ。海辺に行ってテントをはる。昼間に泳げというのは老人の考えだ。夜に海で泳ぐのも楽しいのだ。ねむけりゃねろというのも、老人の考えだ。眠くても目をこすって朝焼けの海に入っていくのだ。月を眺めて、浜辺でバーベキューでもやる。皆でバカをいって、笑っている。青春時代の遊びなどというのはもともと理屈に合わないものなのだ。

 

山に登って喜んでいる人もいれば、海に潜って喜んでいる人もいる。冬の海にただ潜って喜んでいる。魚を取るなら老人も納得するだろう。しかし、魚を取らずにただもぐるところがいいのだ。嵐の中を山に登っていく、家にいればいいと思うが、嵐の中で皆でキャアキャアやるのがたまらないのだ。そんなバカげたことの中で、「あぁ、もう人生はたまらない。青春万歳!人間はどうしてこんなに喜べるのだ」という気になるのだ。

 

ところがガリ勉ばかりしてくると、どうやら、このバカげたことがバカげたこととしてだけ映ってしまうらしい。青春のはちきれる歓喜は、どう考えても、バカげていると思われることの中にあるような気がするのに。そして、それが説明のつかない若さなのに。身につかない勉強、血と肉にならない勉強ばかりしていると、ケチな理屈はわかっても、この若さが失われてしまう。出世ができても、人生が失われてしまう。青春が失われてしまう。それこそ何のために勉強したかがわからない。

 

大都会の真ん中で、裸に俵をまきつけて踊りまわって喜んだことがあった。どう考えてもバカげている。しかし若さとはそういうものだ。そして、皆その時代を通り過ぎていくだろう。しかし、そうしたバカげた時代のないことはやはり人生の生き方がまちがっている。

 

大学の頃の私

私の心は、ずっと老人だと思う。

私は、「遊ぶ」のがヘタだと、常々感じている。

悩んでもいる。

 

 

 

学生の頃から、「一人の時間」が好きだった。

なるべく、一人になって、何かを感じたかった。考えたかった。

自分は今、何をしていて、何のために今の生活をしていて、これからどうなっていきたいのか、考えることをしたかった。

考えても、すぐ答えが出るわけではないし、誰かが教えてくれるわけでもないけど、だからこそ、自分の内面を問いたかったんだと思う。

自分は、なぜ学校へ行くんだ?

なぜ勉強をするんだ?

なぜ出された課題をこなさなければならない?

なぜイヤイヤながら、宿題をして、先生の顔色を伺わなければならない?

私の人生において、この宿題はなんの意味があるんだ?

もっと教えて欲しい、先生よ、なぜこれをする必要がある?

宿題をするメリットは?デメリットは?ベネフィットは?

 

そんなことを考え、葛藤し、苦しみながら時間を作り、したくもない課題をこなし、授業に出て眠気と闘い、

「もっと目が覚めるような面白い授業をしてくれたらいいのに。」

と、眠気に負ける自分への言い訳のように

つまらない話し方、授業の仕方をする教師を心の中で責めたりしていた。

 

私の「一人時間」

たまに楽しい授業をしてくれる先生がいたら、心は喜んで、ワクワクして

それが興味のある分野かどうかより、先生の話に引き込まれて、新しく学びたい!もっと知りたい!と思うことはあった。

 

ただ、それはマレ。ほとんどの学生の頃の勉強は、仕方なく割り切ってやっていた。最低限、単位をとって、進級できればいいと考えていた。

 

そんな風なので、「一人時間」は貴重そのものだった。

ゆっくりと自分の進路や、夢や目的を考えたかった。

 

18歳、19歳の頃

大学生といえば、学校もこなしながら、バイトにも精を出して、遊び‼遊び‼遊び‼

私の周りの友達は、遊んでいた。

私も遊んではいたよ。飲み会にも行ったし、仲良しの女友達とカラオケを何時間もしたり、神戸や三宮をうろうろしたり、大阪へ遊びに行ったり。

でも、どこか「遊びきる!」ってことが、いつまでも出来なかった気がする。

 

私の中で、なぜ友達と遊ぶのかというと、

✅普段頑張っているからたまには遊んでもいいだろう

✅カラオケに行きたいから、あの子と行く

✅行きたいお店があるから、一緒に行く

という具合に、いつもなにかしら【理由】があった。

無目的…が、苦手なんだと思う。

なぜ、遊ぶのか、理由が欲しかった。

その「なぜ」に、自分がすっと答えられる時は、気持ちよく遊びに出られる。

でも「なぜ」と、心が感じてしまったら

「今はするべきことがある。目指したい理想がある。だから、遊んでいる場合ではない」

 

と、自分をコントロールしてきたように思う。

そんな大学生の頃の私は、今思えばHSP気質だとわかるが

大人数での集まりが苦手だった。

旅行もちっとも行きたいと感じたことがなかった。

だから、卒業旅行も行かなかった。

さっさと大人になって、自分の人生を切り拓きたかった。

 

後悔

もっと、遊んでおけばよかった…

私は本当に大人になってから、後悔した。

でも気づくのが遅すぎた。

もっと、遊んでおけばよかった…

社会人になっても、結婚しても、ママになっても…

昔ながらの友達とつるんでいる人をみて、うらやましく思う自分に気が付いた。

私は嫉妬していた。

SNSは、プライベートではしなかった。

見るのが辛かったからだ。

懐かしい友達は、みんな、懐かしい友達同士で遊んでいる。

過去の人達…ちがう、私が、彼、彼女らにとって、

過去の人」になったのだ。

なんて寂しいことなんだ。

今も交流がある仲間同士は、過去の学生時代の頃から今まで、線のように絆がつながっている。

でも、私は「過去の人」であり、思い出されることはあっても

「線」ではなく「」なのだ。これが現状だ。

 

何度も何度も夢に見た。

夢で何度も謝った。「あの頃の自分は、どうかしていたんだよ。なかなか自分をさらけだすことも、誘いにのることも、楽しく遊びきることも、出来なかったんだ…。今、すごく仲間にいれてもらいたい。よかったら、あの頃みたいに、友達関係をやり直させてほしい」

夢で、仲間は笑顔でうなづいてくれる。

夢の中で私はホッとしている。

よかった、楽しみたいんだ、私も青春をしたかったんだって

 

でも目が覚めて、現実ではつながっていないことを再確認する。

もう、戻れないってわかっている自分と、まだひきずっている自分がいる。

いい加減、変わりたい。もう、諦めろ。

 

だったら、今から作ればいい。

今からだって、理想の関係を作れるんじゃないか。

そう思って、【大人が青春をやり直す場所】

オンラインサロンを、作ったんだ。

Salon.Bloomin’Cycle (サロン ブルーミンサイクル)
₋学んで切磋琢磨できる仲間が集う家-

 

最近、気が付いた

オンラインサロンを1年半運営してみて…

私は、念願の友達にたくさん恵まれた✨

やっと、やっと欲しかった、切磋琢磨しあえる仲間に出逢えた!

それが、まず第一の声。

オンラインサロンは、メンバーをファミリーと呼んでいる。

それくらい、大切にしたい仲間だという認識を持って

どんな初めましての方にも、接している。

 

サロンには二つの理念がある。

1つは、全体の秩序を守るためにある₋ギフト サイクル₋理念。

みんなが幸せなギバー精神を育んで、お互いの幸せを願いながらコミュニケーションをとれるように…というもの。

2つ目は、ファミリー同士の交流理念である₋4Aルール₋

これは大事にしたい4つのA

①Assist…助けようという気持ち

②Action…行動変化を促す言葉

③Appreciate…感謝する

④Accept…受け入れる

一生の友に出逢うかもしれない交流会では、アドバイスや意見を伝える時、それを受け取る時、思いやりと誠意を大事にしましょうというものだ。

 

この理念を、とても大事にしてくれる仲間たち。

おかげで私は、ファミリーに受け入れられ、行動変化を促されるありがたい意見やメッセージをもらい、日々、自分なりに成長していけるようになった。

 

その上で、だ。

冒頭に戻るが、私は改めて、「自分の心はまだ老人だ」と感じる。

大人になっても、何歳になっても

遊ぶのが上手な人をみると、やはり尊敬の念を抱くし、羨ましく感じる。

 

今も、なるべく「一人の時間」を捻出しようともがいているし

心の底からバカになるなんて、お酒の力を借りないとできやしない。

 

そのお酒を、断っている

 

唯一バカになれた、唯一我を忘れられた、唯一、後悔するほど無になれたお酒をやめてみて1ヶ月。

 

私の中では、365日飲んでいたお酒をやめても全然苦ではなくて

むしろ読書量はUPしたし、二日酔いは確実にないし笑、顔のむくみもとれて
睡眠量や運動量も少しずつ増えてメリットばかり感じている。

 

ただ、なんとなく、「遊び」の要素が抜けてしまった感覚だけは、ある。

お酒すらも飲まなくなった私は、天然で「バカになる時間」「遊びの時間」「無になる時間」「我を忘れて楽しんだ時間」を作っていかなくてはならない。

 

新しい自分との付き合いが、始まった。

 

冒頭の加藤先生がおっしゃる「キラキラした青春」を
こんな私が、今から、実現させることができるのか。

 

ちなみに私にとっての「遊び」とは…

これを遊びと証明してもらえるなら、私は最強の遊び人である。

遊び=楽しい=興奮する=時間も忘れる=たとえ誰かに止められても、やりたくて仕方がないモノ=私にとって学ぶこと、読書をすること

学ぶこと、何かを知ること、本を読むこと

これほどのエンターテイメントはないと心からそう思っている。

そしてなんてコスパがいいんだと感謝している。

そう、満足しているんだ。

 

私にとって悩ましいのは、勉強や読書が最強に面白く楽しく、遊びみたいなもんだと思っていることは、これは世に言う「遊び」と定義していいのかどうか

ということだ。

これまでつらつらと、何が悲しいだとか、後悔だとか述べてきたが

もし、【勉強=遊び】と自信を持って言えるようになれば

私は幸福な遊び人だ。

 

みんなはどう思う?

さて、これを読んでくれたツワモノさんは、どんなことを遊びと定義するだろうか。

誰になんと言われようとも

これが私にとっての「遊びだ」「エンターテイメントだ」と言えるもの

 

ぜひコメント欄で教えて欲しい。

私に、遊び方を、教えて欲しい(笑)

そして、よかったら今度一緒に、遊んでほしい

 

以上、最後までお読みくださり、ありがとうございました☆

ブラックあみでした(^^)/

 

 

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (4件)

  • あみちゃん。やっほー。
    最後まで読ませてもらったよ。
    青春。私も沢山後悔があるし、羨ましくなる気持ちも分かるなぁと頷きながら読みました。

    あみちゃんの言葉を借りるなら、私は沢山馬鹿なことして「遊び」をしたんだろうと思う。
    ただ何となくさらけ出せなかった部分も沢山あったし、それがあの時期の青春のもがきみたいなものなんだろうと納得しているかな。
    私には数少ない幼なじみの友達がいるけど、その子と仲良くなったのは25歳をすぎてから。
    大人になった自分が逢うことで深く繋がる人も居るんだなぁと目からウロコな経験だったよ。

    さて、35歳になった私の「遊び」について。
    最近の私の「遊び」は、
    自分1人なら絶対選ばない事を人に提案された時、それに乗ること。
    少し嫌々ながらの参加だってあるけど笑
    挑戦することへのハードルが上がってしまった私にとっては、それが自分を広げる鍵になったりするから。
    知らなかった世界、新しい自分、新しい考え方。
    知識や経験が蓄えられた今だからできる、最大限のハードルを超える「挑戦」、それが今の私の「遊び」なのかもしれない。
    と、思いついたのでコメントしてみました(*^^*)

    私の大好きなあみちゃんへ。答えになってるといいな。

  • あみちゃんお疲れ様😊

    あみちゃんの心の声、叫び、届いたよ~受け取ったよ~!ブラックとも思わなかった。心の願いだよね。自分の声聞いて受け止めてアウトプットして、すごいなぁって思った!

    過ごしてきた時間、後悔しないでとは言わないけど、私は縁の力には敵わないと思っていて😊
    今まであみちゃんが選んできた道のおかげで私達は今出会えているから、「学ぶこと、何かを知ること、本を読むこと」に夢中になって遊んできてくれたことに感謝します。じゃないときっと出会えてないから。
    めちゃくちゃ離れているのに不思議だよね~縁だなぁ~って思います。

    そして、ワクワクや夢中には勝てないから、それを明確に見つけて実行し続けてきたあみちゃんはとっても素敵で最強だと思う。

    その上でアホみたいに遊ぶ夢も叶う。一緒に叶えよう✨
    (見た目とギャップがあるとよく言われるんだけど私中身かなり子どもなんだ。笑)

    ねぇ、何したい?それ、叶えに行くよ😊
    いつもありがとう!

  • 【インスタよりDMで頂いたコメント♡】
    RNちゃん

    「読んだ~!かっこいい文章ー‼
    あたしはあみちゃんと真逆かも(笑)
    とにかく勉強してこなかったの(笑)
    だから今とても学びたい!
    まさになんの目的も方法もない遊び?とゆーか無駄な時間しか過ごしてこなかったから、遊び方教えるとかできなけど( ´∀` )
    一緒にあーそーぼっ♪♪

  • 【インスタよりDMで頂いたコメント♡】
    KKちゃん

    「加藤先生は私も大好き大尊敬で、ブログ読みながら、加藤先生の遊びの定義、なるほどーって思ったよ❤
    やっぱり深くて鋭くて、その通りかもって思った👏

    でも、この世のあみちゃんの神様は、あみちゃんだから…

    あみちゃんの中の神様が定義する遊びで、幸せでいいんじゃいいんじゃないかな🌸

    私はあみちゃんが好きだし、会えない時間とか、
    連絡取れない時間あっても、あみちゃんが好きだよ❤

    毎日車で声聴くだけで励まされてる‼

    でも、あみちゃんのブログ読んで、そういう愛情や感謝って日頃から伝えなきゃ、伝わらないんだよなって反省したぁ(´;ω;`)

    ブラックあみちゃんも好きだから(*^-^*)♡

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